書評 『池田屋事件の研究』

心待ちにしていた、中村武生氏の『池田屋事件の研究』を読んだ。

われわれは「池田屋事件」の「事実」についてどれほど知っているであろうか?

ページをめくるたびに、「知られざる池田屋事件」が姿を現し、池田屋事件について、ほとんど何も知らなかったことを思い知らされる。

本書はまさに池田屋事件の「研究」である。

著者である中村氏のこの「研究」には「謎解き」のような趣がある。池田屋事件を論じる時に必ず語られる、古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)。彼は何者なのか?この謎を解き明かすことから、著者の池田屋事件の研究が始まる。

古高の父は山科毘沙門堂門跡に仕え、また古高自身も長州毛利家の遠戚にあたることから、毛利家と有栖川家の強いパイプ役を期待されている人間だった―そのような古高の「知られざる」履歴が明らかにされる。文久3(1863)年の「文久政変」(8・18政変)の動きを受け「京都進発論」が飛び出すなど毛利家をめぐる政局が複雑化する中で池田屋事件が起こる。
当時、会津松平家・薩摩島津家と協力関係にあった尹宮の屋敷の「放火」計画の「噂」があったようである。新選組は事前にその「噂」をつかみ、(その際、坂本龍馬の居宅も襲われている)会津松平家に連絡。会津松平家は対応を慎重に協議する。そしてそのような不穏な空気が漂う元治元(1864)年6月5日、枡屋喜右衛門こと古高俊太郎が新選組に捕縛される。これを受けて親毛利家の浪士たちは「古高奪還計画」をたてる―その会合が「池田屋」で行なわれる。かくして「池田屋」で「古高奪還計画」の会合中に親毛利家浪士が新選組に捕縛される。元治元年6月5日「池田屋事件」である。

ただし、史実(本書)には、「階段落ち」は出てこない。吉田稔麿沖田総司には斬られない(吉田稔麿文久3年以来、毛利家と徳川家との関係修復を模索し徳川家にもそれを望まれていた)。
さらに著者は毛利家京都留守居役・乃美織江(のみおりえ)の手記から桂小五郎が事件当夜、池田屋におり、屋根伝いから逃げたことを明らかにしている。

この池田屋事件は、その後にやってくる毛利家と当時、京都で一勢力を担っていた「一会桑」( いちかいそう  禁裏御守衛総督兼摂海防禦指揮・一橋慶喜京都守護職松平容保会津藩主)、京都所司代松平定敬桑名藩主)3者)との対決・2度に渡る「長州戦争」
ひいては維新の戊辰戦争の引き金になった、と著者は結論づけている。

本書は池田屋事件を毛利家の視点から分析し、明治維新史研究上の文脈で捉えようとしたという点で貴重である。

また徹底的に史料を活用し(池田屋事件に関して)「何がわかっていて、何がわかっていないのか」を明らかにした、ということも意義深い。
今後の新選組明治維新研究が大いに深化するにちがいない。

ぜひ、熟読したい1冊である。