月形半平太??

何故だかわかりませんが近頃、「月形半平太」(つきがたはんぺいた)に縁があるようで。「月様、雨が…」「春雨じゃ、濡れてまいろう」という名文句で(ある世代には?)知られている月形半平太です。

  実は、この月形半平太なる人物は実在の人物ではありません。土佐の武市半平太と福岡黒田家家臣で薩長盟約に尽力しながらも断罪に処され非業の死を遂げた月形洗蔵(つきがた せんぞう)のイメージを重ね合わせたものだといわれています。

僕も1度だけ、「月形半平太」を映像で視たことがありますが、不思議なストーリーでした。
文久3(1863)年、長州毛利家の家臣であった半平太は京都で「見廻組」につけ狙われながらも(史実では見廻組が結成されるのはその翌年の元治元年―1864年です)政権返上(大政奉還)論を説き(政権返上論が京都政局で具体化するのは慶応3年―1867のこと)その発想のために仲間に殺害されます。

半平太は親友である桂小五郎に看取られながら息を引き取ります。
桂は意識の薄れゆく半平太にこう誓います。
「明日将軍慶喜公が上洛する。 この桂が君に代わって慶喜公に大政奉還を進言しよう」
慶喜文久3年時、将軍後見職でした 慶喜が将軍に就任するのは慶応2年―1866―12月5日のことです)

・・・というのが、「月形半平太」のあらましです。
  
この月形半平太を実在の人物と勘違いされる方も多いようです。あとは鞍馬天狗かな・・・(笑)