<龍馬を語ろう> 第33回 雑記 ○○○ ―龍馬コード?? 



龍馬暗殺ミステリー『知られざる“龍馬伝”世紀の英雄・坂本龍馬最大の謎と秘密の暗号』を観た。僕は龍馬殺害者は見廻組・桂早之助だと思っている。「新政府綱領八策」の○○○自ラ・・・云々と龍馬の「暗殺」は別問題だと思う。

寺田屋の危機の時、幕府の役人を「銃殺」してから龍馬は「お尋ね者」になっている。だから「殺害」された・・・と思う。

○○○の候補者について、龍馬は慶喜を想定していたかもしれないが、誰を入れるか、まだ決まっておらずこれからの京都政局を見つめながら考えよう、まずはいろいろな勢力に諮ろう、くらいの気持ちだったかもしれない。

尾張徳川慶勝説には驚いた!う〜ん??)

無理やり当てはめる必要はない。

新政府の人事案である『新官制擬定書』についても数パターンあり、その中にははっきりと龍馬の名が記されている。新しい日本の「国家形成論」も龍馬の「船中八策」だけではなく、幕臣西周の「議題草案」なども提出されている。

さらに、慶喜が「大政奉還」をしても上表文が提出されただけで朝廷はどうすることもできない。宙ぶらりんの状態だったのだ。

来るべき「国家形成」=王政復古に向けて龍馬も後藤も小松も慶喜も動いていた。

「暗殺事件」の推理史料として「肥後国事史料」が挙げられ、「龍馬を殺害したのは薩摩だ」との記述が紹介されていたが、当時薩摩と肥後の関係が芳しくなかったということも考慮すべきだろう。

亀山社中設立の背景に薩摩家老小松帯刀の尽力があったことは描くべきだろう。

近年話題の「グラバー黒幕説」に走らなかったことは好感が持てた。

幕末期の政治は様々な選択肢があり、どのような情勢になるかなど見通せた人間はそう多くはなかった。

慶応3年11月15日幕末の「周旋家」・坂本龍馬は「暗殺」された。

彼にとってはまるで「事故」のようだったかもしれない―