JIN-仁-のいる風景

龍馬が「殺害」される運命を仁は咲に告げようとしますが、またしても「偏頭痛」に倒れる仁。
一方、恭太郎は(咲と栄を人質に)なんとしても龍馬を「仕留める」ようにとの上司の命を受けます。咲は仁の様子を汲み取り、龍馬が11月15日に「暗殺」される運命にあることを察知します
(咲の「では、坂本様は28日後に・・・」というセリフからこの時点が慶応3年10月19日だということがわかります)。

仁は、勝海舟に道中手形を都合してもらい(咲は野風に龍馬への託され)慶応3年10月25日、華岡流の佐分利祐輔と咲を伴って京都へ旅立つのでした(海舟も野風もどこか龍馬の行く末を予見しているかのようでした)。仁不在の「仁友堂」を三隅俊斉が狙っているようで・・・。

京都へと急ぐ仁たち―その後を追う恭太郎(と龍馬「暗殺団」たち)の影。京都見廻組でしょうか? それとも別働隊でしょうか? 途中、駿河の丸子宿で草鞋を脱ぐ仁一行。「龍馬暗殺」のタイムリミットを気にかけ焦る仁(龍馬が福井に滞在したのは10月28日から。京都へ戻るのは11月5日 ということはおそらく仁が丸子宿に宿泊したのは10月後半でしょうか?)仁を尾行してきた恭太郎は遺書を認め(龍馬を手にかけた後?)自害するつもりのようです。一刻も早く龍馬を探しに向かいたい仁、病人を治療し、丸子宿を後にします。

龍馬は慶応3年10月の「政権返上(大政奉還)」後、精力的に活動しています。

大政奉還後のこの時期、龍馬は三条実美家来・戸田雅楽に「新官制擬定書」(新政権の職制・人事案のようなもの)を起草させています。龍馬を象徴するエピソードに「世界の海援隊」と呼ばれるものがあります。<大政奉還後龍馬は新政府の大綱である「新官制擬定書」を作成した。これには関白を三条実美慶喜を副関白とし、参議として薩の西郷・大久保・小松帯刀、長の木戸孝允、土佐の後藤の名があったが、龍馬の名はどこにもなかった。怪訝に思った西郷がこれについて問うと、龍馬は「ワシは堅苦しい役人などしません。左様さ…世界の海援隊でもやりましょうかな」と一言残しただけだった・・・> なんとも爽快なエピソードですが、この「新官制擬定書」は原本が存在せず、5種類のヴァージョンが存在しそのうちの3種類に「坂本」と記されていることから「世界の海援隊」は後世の創作だということがわかります。また福井から京都に戻るまでの間に、龍馬は「新政府綱領八策」という文書を起草します。この「新政府綱領八策」は龍馬の自筆として残っており、他の史料との混乱を避けるために、単に「八義」と呼ばれることもあります。
長いですが下に掲げます。

「新政府綱領八策(八義)」 原文
第一義
 天下有名ノ人材ヲ招致シ 顧問ニ供フ
第二義
 有材ノ諸侯ヲ撰用シ
 朝廷ノ官爵ヲ賜ヒ 現今有名
 無實ノ官ヲ除ク
第三義
 外国ノ交際ヲ議定ス
第四義
 律令ヲ撰シ 新ニ無窮ノ
 大典ヲ定ム 律令既ニ定レバ
 諸侯伯皆此ヲ奉ジテ部下
 ヲ率ス
第五義
 上下議政所
第六義
 海陸軍局
第七義
 親兵
第八義
 皇国今日ノ金銀物価ヲ
 外国ト平均ス
右預メ二三ノ明眼士ト議定
シ 諸侯會盟ノ日ヲ待ッテ云々
○○○自ラ盟主ト為リ 此ヲ以テ
朝廷ニ奉リ 始テ天下萬民ニ
公布云々 強抗非礼公議ニ
違フ者ハ断然征討ス 權
門貴族モ貸借スルヿナシ
 慶應丁卯十一月 坂本直柔

簡略化された文章ですが龍馬が新政権を運営するに当たって重要だと考えていた事柄が端的に現われています。「綱領八策」の後半部「右預メ二三ノ明眼士ト議定シ 諸侯會盟ノ日ヲ待ッテ云々」
2.3人の有志とよくよく話し合いをし事を諮って諸侯を召集した会議を開く・・・とでも訳せるでしょうか。「○○○自ラ盟主ト為リ・・・」ここがポイントです。この「○○○」には誰が入るのか。龍馬自身は慶喜を想定していたかもしれませんが、誰を入れるか、まだ決まっておらずこれからの京都政局を見つめながら考えよう、まずはいろいろな勢力に諮ろう、くらいの気持ちだったかもしれません。この「綱領八策」をめぐって西郷・大久保と龍馬が対立することはあり得ません。事実とフィクションをごちゃごちゃにしています。

龍馬の存在を追って伏見の「寺田屋」までやってきた仁(と恭太郎たち)。仁は龍馬の存在が徳川に疎まれていることをひしひしと感じるものの龍馬の居場所は依然としてわからぬまま―。

そして運命の慶応3年11月15日―。途方に暮れる仁は東修介に偶然出会い、「近江屋」で龍馬と再会! 仁は龍馬に身の危険が迫っていることを知らせ、来訪した中岡慎太郎とともに寺田屋に移ります。(史実では、龍馬と中岡は近江屋で京都見廻組に殺害されます)
(龍馬享年33 下僕藤吉享年25 事件後2日間生き延びた中岡は享年30。) 

龍馬が殺害されるはずの時刻、刺客たちは近江屋を急襲! その頃難を逃れた龍馬たちは寺田屋で軍鶏を突いて酒宴を始めます。しかし中岡は寺田屋を辞し刺客に殺害されます!

のどかに酒を飲んでいる間に11月15日は去り、龍馬と仁は改めて酒を酌み交わします。

(龍馬は自分が11月15日に殺されることを予期していたようです)

しかしどこか胸騒ぎを覚える仁。そんな時またあの「偏頭痛」に襲われたのです。

慌てて咲を呼びに行った龍馬は恭太郎と東修介の乱闘に巻き込まれ、恭太郎に殺害されそうになりますが、そこには龍馬を守ろうとする東修介の姿が!しかしその東の一刀が皮肉にも龍馬の額をなぎ払ったのでした。

仁はその恐ろしい光景を前にただ叫ぶことしかできませんでした・・・。