JIN-仁-のいる風景



和宮毒殺疑惑」で「小伝馬町牢屋敷」に収容された仁。(おそらく仁が収容された場所は牢の中でも僧侶・山伏・医師などが収容される「揚屋<あがりや>という区域であったと思われます)。

牢屋敷には「牢名主」を筆頭に「牢内役人」という独自の仕組みがありました。 

 仁は牢内で囚人たちに過酷な拷問を受けます。

この「新人いじめ」とでもいうような仕置きは枕型の手ぬぐいを叩きつける「投枕」・大人数で1人を責めあげる「背を割る」(集団リンチ)など様々な種類があったようです。

過酷な状況・牢内の不衛生な環境のため、判決が下される前に伝染病などで亡くなる囚人が少なくなかったようです。

「ツル」(牢名主に渡す金銭)と勝海舟新門辰五郎・野風らの必死の尽力により「お咎めなし」となった仁。神戸海軍操練所閉鎖後薩摩へ向かい、いよいよ動き出す龍馬!  仁と龍馬の運命は今後どのように交錯するのでしょうか―