<龍馬を語ろう> 第58回 つれづれなるままに〜 龍馬伝第36話・感想

龍馬伝」第36話。「寺田屋騒動」。お話の時期は慶応2(1866)年1月。龍馬32歳。

薩長盟約」の締結を見届けた龍馬は23日、盟約が無事に締結されたことを三吉慎蔵に知らせるために三吉が待つ寺田屋に向かいます。「龍馬伝」の劇中では龍馬が、新撰組に捕らえられた岩崎弥太郎寺田屋に匿い、薩長盟約締結後の「土佐・山内家のあるべき姿」を弥太郎に説きますがこのシーンはフィクションです。

幕府や薩長間を「渡り歩いている」龍馬は慶応元(1865)年後半頃から公儀(幕府)の中枢部によって「危険人物」と見なされていたようです。

慶応元年の12月3日には、龍馬や薩摩藩の動向を巡って肥後藩の京都留守居役・上田久兵衛大坂城に召され、幕府閣老の小笠原長行板倉勝静会津藩の小野権之丞に尋問された、との記録が残されています。

唐津侯(小笠原長行)より登営之命あり、板・唐両閣老、小野権一同謁見、坂下(本)良(龍)馬潜匿之一条、薩人之謀略等密々下問、夕方帰。
 (『肥後藩士上田久兵衛先生略伝並年譜』)>

公儀(幕府)は薩長盟約を締結に動いている龍馬を捕縛しようと情報網を巡らせていたのです。

そして・・・慶応2(1866)年1月23日夜半(24日未明)龍馬と三吉慎蔵は伏見奉行・
林 忠交(はやし ただかた)配下に取り囲まれ、「死闘」を演じることになるのです。

龍馬はこの「寺田屋騒動」の「危機」を兄・権平ら家族一同に宛てた慶応2年12月4日付の長文の手紙で臨場感たっぷりにレポートしています。

・ 慶応2年12月4日付  坂本権平ら家族一同宛 龍馬書簡 原文抜粋

(前段 略)
上ニ申伏見之難ハ去ル正月廿三日夜八ツ時半頃なりしが、一人の連れ三吉慎蔵と咄して風呂より揚り、最早寝んと致し候処に、ふしぎなる哉 此時二階居申候。 人の足音のしのび/\に二階下をあるくと思ひしに、六尺棒の音から/\と聞ゆ、おり柄兼而御聞に入し婦人、 名ハ龍今妻也。 勝手より馳(は)セ来り云様、御用心被成べし不謀敵のおそひ来りしなり。鎗持たる人数ハ梯の段を登りしなりと、夫より私もたちあがり、はかまを着と思ひしに次の間に置有之ニ付、其儘大小を指し六連炮を取りて、後なる腰掛による。連れなる三吉慎蔵ハはかまを着、大小取りはき鎗を持ちて是も腰掛にかゝる。間もなく、壱人の男障子細目に明ケ内をうかがふ。見れバ大小指込なれバ、何者なるやと問しに、つか/\と入り来れバ、すぐに此方も身がまへ致セバ、又引取りたり。早次ギの間もミシ/\物音すれバ龍女に下知して、次の間又後の間のからかみ取りはづさし見れバ、早拾人計り鎗持て立並びたり、又盗賊燈灯二ツ持、又六尺棒持たる者其左右に立たり。双方暫くにらみあふ処に、私より如何なれバ薩州の士に不礼ハ致すぞと申たれバ、敵口々に上意なり、すはれ/\とのゝしりて進来る。此方も壱人ハ鎗を中段にかまへ立たり。敵より横を討ると思ひ、私ハ其左へ立変り立たり。其時銃ハ打金を上ゲ敵拾人斗りも鎗持たる一番右の初めとして一ツ打たりと思ふに、此者退きたり。又其次ぎなる者を打たりしに其敵も退きたり。此間敵よりハ鎗をなげ突にし、又ハ火鉢を打込色々たゝかふ。味方も又鎗持て禦ぐ。家内之戦実に屋かましくたまり不申。其時又壱人を打しが中りし哉分り不申処、敵壱人障子の蔭よ

り進ミ来り、脇指を以て私の右の大指の本をそぎ左の大指の節を切割、左の人指の本の骨節を切たり。元より浅手なれバ其者に銃をさし向しに、手早く又障子の蔭にかけ入りたり。扨前の敵猶迫り来るが故に、又一発致セしに中りし哉不分、右銃ハ元より六丸込ミな礼ども、其時ハ五丸のミ込てあれば、実ニ跡一発限りとなり、是大事と前を見るに今の一戦にて敵少ししらみたり。一人の敵黒き頭巾を着、たちつケをはき鎗を平省眼のよふにかまへ近〻よりて壁に添て立し者あり。夫を見るより又打金を上ゲ、慎蔵が鎗持て立たる左の肩を銃の台にいたし、敵の胸をよく見込ミて打たりしに、敵丸に中りしと見へて、唯ねむりてたをるゝ様に前にはらばふ如くたをれたり。此時も敵の方にハ実ニドン/\障子を打破るやらふすまを踏破るやら物音すさまじく、されども一向に手元にハ来らず、此間に銃の玉込ミせんと銃の〈回転式拳銃の弾倉の断面図〉此様なるもの取りはづし、二丸迄ハ込たれども先刻左右の指に手を負ひ、手先き思ふ様ならず、阿屋まりて右玉室を取り落したり。下を尋ねると雖ども元よりふとん引さがしたる上へ、火鉢の灰抔敵よりなにかなげ込し物と交り不分。此時敵ハ唯どん/\計りにて此方に向ふ者なし。夫より銃を捨、慎蔵に銃ハ捨たりと言バ慎蔵曰、然時ハ猶敵中に突入り戦ふべしと云ふ。私曰、此間に引とり申さんと云へバ、慎蔵も持たる鎗をなげすて後のはしごの段を下りて見れバ、敵ハ唯家の店の方計りを守り進む者なし。夫より家の後なる屋そひをくゞり、後の家の雨戸を打破り内に入て見れバ、実に家内之者ハねぼけてにげたと見へて夜具など引てあり。気の毒ながら、其家の立具も何も引はなし後の町に出んと心がけしに、其家随分丈夫なる家にて中〻破れ兼たり。両人して刀を以てさん/″\に切破り、足にて蹈破りなどして町に出て見礼バ人壱人もなし。是幸と五町斗りも走りしに、私病後の事なれバ、いききれあゆまれ不申、着物ハ足にもつれぐず/\いたセバ敵追着の心配あり、 此時思ふにハ男子ハすねより下にたるゝ着物ハ致すべからず候。此時ハ風呂より上りし儘なれバ、湯着を下ニ着て、其上にわた入を着、はかまハ着る間なし。 つひに横町にそれ込ミて、御国の新堀の様なる処に行て町の水門よりはひ込ミ、其家の裏より材木の上に上り寝たるに、折悪くいぬがほえて実にこまり入たり。そこにて両人其材木よりおりしが、つひに三吉ハ先ヅ屋敷に行べしとて立出しが屋敷の人と共にむかひに参り、私も帰りたり。扨彼指の疵ハ浅手なれども動脉とやらにて翼日も血が走り止ず、三日計も小用に参ると、目舞致候。此夜彼龍女も同時に戦場を引取り、直様屋敷に此よしを告げしめ、後ハ共〻京の屋敷江引取り今ハ長崎江共〻出づ。 此頃余程短銃上達す。
 
此伏見江取り手の来りしを詮儀するに大坂町奉行ハ松平大隅守と云て、同志の様に度〻咄しなど致し、面会時〻したるに此度ハ大坂より申来りしとの事、合点ゆかず猶々聞合すにはたして町奉行ハ気の毒がり居候よし。此大坂より申来りしハ幕府大目付某が伏見奉行へ申来るにハ、坂本龍馬なるものハ決而ぬすみかたりハ致さぬ者なれども、此者がありてハ徳川家の御為にならぬと申て是非殺す様との事のよし。此故ハ幕府の敵たる長州薩州の間に往来して居との事なり。其事を聞多る薩州屋敷の小松帯刀、西郷吉之助なども皆、大笑にてかへりて私が幕府のあわて者に出逢てはからぬ幸と申あひ候。・・・

九死に一生を得龍馬のほっとしている姿が眼に浮かぶような手紙です。

この「寺田屋騒動」をきっかけに龍馬は「確実に」公儀に「狙われる」存在になっていくのです・・・。

※今回の「寺田屋騒動」は個人的は○でした。リアルな造りを意識したのでしょうか。