第34回 番外編 「龍馬伝を観ていて感じること」

龍馬伝」を観ていてふと思った。なぜ「龍馬の手紙」を効果的に使わないのだろう。長州藩の攘夷活動の報告を受けながら「砲撃を受けた外国船は幕府が修理する」云々のせりふは明らかに文久3年6月29日の「日本のせんたく」の文言で有名な手紙のなかの「あきれはてたる事は、その長州でたたかいたる船を江戸で修復いたし、また長州で戦い申し候」の一節を意識したものだろう。慶喜が実際にそんなセリフをいったかどうか?


なぜ勝海舟岡田以蔵のエピソードを削ったのだろう。

海舟と以蔵が通りを歩いていると、三人の浪士が現れ斬りかかってきた。海舟の前に出た以蔵は「弱虫どもが何をするっ!」と一喝し、一人を斬ると、残る二人は一目散に逃げて行った。後日、海舟が「君は人を斬る事をやめた方がいい。」と嗜めると、以蔵は「だが、先生。俺がいなければ、先生の首はありませんよ」と答え、さすがの勝も「あれには俺も一言もなかったよ」と後に語っている、という話が勝海舟回顧録に載っている。

この話は随分、面白いのに・・・。

なぜ平井収二郎の「罪名」を「吉田東洋暗殺」にしたのだろう?

収二郎の身分は武市半平太と同じ「白札」で「準上士」。収二郎は東洋殺害に関わりはなく、収二郎が土佐藩当局に捕縛された理由は青蓮院宮に令旨をいただき藩政改革を行なおうとしたが容堂の逆鱗にふれたため。劇中でも触れられていたが・・・

吉田東洋殺害罪で捕縛されたわけではない。

毎回年代を特定してほしい。

「脱藩」の回からずっと感じていたが理由付けにも多少無理がある。

(劇中、龍馬「脱藩」の理由は「毒殺未遂」) これでは「毒殺未遂」が「脱藩」の理由づけになってしまう・・・。フィクションの理由ばかり積み重ねたのではフィクションの龍馬像が出来上がる。

半平太と東洋の対立は時期がはやかったし、久坂玄瑞が「単純」すぎる。

龍馬だけではなく他の「人物」も作りこんでほしい。

史料が少ないのならともかく、龍馬の手紙は多く残されているし、幕末史の研究も盛んである。そういうものを取り入れていかないと、公式ホームページで宣言していた「新しい龍馬・新しい幕末」像には程遠いのではないか、
と思う。

史・資料をきちんと使えば「龍馬伝」がもっと面白く盛り上がるだろうなと感じている今日この頃である。