<龍馬を語ろう> 第20回 つれづれなるままに〜 龍馬伝第9話・感想



龍馬伝」第9話。前回に引き続き、安政3(1856)年からのお話。再び小千葉道場に草鞋を脱いだところから。さな子さんのヤキモキする姿が個人的にはツボでした。今回は(時系列は別にして)おおむねよく知られている「龍馬」ストーリーにそっているように思いました。なんといっても今回のメインイベント(!?)は「山本琢磨時計窃盗事件」でしょう。

テロップより1年後の安政4(1856)年8月4日夜半琢磨は道場の同門・田那村作八(たなむらさくはち)と飲み歩きながら通行人に足をかけるなど、悪ふざけをし絡んでいました。

たまたまそこへ佐州屋金蔵を通りかかった。琢磨たちに難癖をつけられ、殴られた佐州屋は大事な風呂敷包みをおいてその場から逃げ去った。包みを開けてみるとロシア製の時計が2つ。遊興代が必要な琢磨たちは浅草の質屋に時計を持ち込み商談をまとめてしまいます。

しかし佐州屋が盗品届けを江戸の役人に提出し、自然、江戸の土佐藩役人にも知らせが入ります。

土佐武士の面目を汚したとして切腹は免れない琢磨。

そこで、とりあえず龍馬と武市半平太は佐州屋に時計を返し和解。その上で琢磨を逃亡させた・・・

というのが事の顛末です。これは龍馬が(あるいは半平太も加わって)琢磨を逃亡させたとも、琢磨が人知れず逃げたともいわれています。

維新後琢磨は沢辺琢磨と改名。各地を放浪し旅の途中でであった前島密に北海道へ行くことを進められ、その地で出会ったニコライ神父の導きによって日本人初の司祭となって、東京復活大聖堂の建設に尽力した、という後日談があります。

漫画「おーい竜馬」でも触れられているエピソードなのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

ひとつ気になったのが、龍馬・半平太たちと諸国志士たちとの会談の場面。武市半平太と龍馬と連れ立って、水戸の住谷寅之助、薩摩の樺山三円・さらに桂小五郎に会いに行く、このメンバーが一同に会するというのは少し無理があると思います。

龍馬と住谷が出会うのは「時計事件」から1年後、安政5(1858)年、安政の大獄水戸藩のゴタゴタで土佐に援助を求めようと龍馬に手紙を出したのが2人の会見のきっかけです。

さらに武市が住谷・樺山・桂らと交流を深めるのは文久元(1861)年、と「時計事件」から5年も後のことです。