第8回 つれづれなるままに〜 龍馬伝第4話・感想



龍馬伝」第4話。龍馬が江戸着。小千葉道場での人間模様も描かれました。

溝渕さんと一緒に住んでいたかどうかは少し疑問?ですが。さな子さんがハマリ役のような気がしました。実は当主の千葉重太郎鳥取池田家の剣術指南役に就任しており勝海舟とも親交がありました。(でもそこまでは描かれないだろうなあ・・・)

龍馬が桂小五郎に出会ったのも、記録上、慶応元年(1865)下関でのこと。

さらに小千葉道場の門を叩いたのと同時に(半義務的に)西洋砲術家佐久間象山門下で「米百表」の小林虎三郎の指導を受けながら砲術の勉強に夢中になったらしい。

そして、この年(1853年)嘉永6年の6月3日ペリーが来航します。

龍馬の足跡がはっきりわかるのは、9月23日父・八平宛の手紙からです。

一筆啓上仕り候。

秋気次第に相増し候処、愈々御機嫌能御座成らせらる可く、目出度千万存じ奉り候。

次に私儀無異に相暮申し候。御休心成下らる可く候。

兄御許にアメリカ沙汰申し上げ候に付、御覧成らせらる可く候。

先ずは急用御座候に付、早書乱書御推覧成らせらる可く候。

異国船御手宛の儀は先ず免ぜられ候が、来春は又人数に加わり申す可く在じ奉り候。

  恐惶謹言。

  龍

 九月廿三日

 尊父様御貴下

御状下せられ、有難き次第に在じ奉り候。

金子御送り仰せ付けられ、何よりの品に御座候。

異国船処々に来り候へば、軍も近き内と在じ奉り候。

其節は異国の首を打取り、帰国仕る可く候。かしく。


そこには、自分は(江戸で出修行し)元気であること、黒船の様子を「別紙」で送ったこと、(この別紙は残っていません。)

品川の沿岸警備を命じられたこと、そして「近いうちにアメリカと戦が始まるだろうから、その時は(活躍して)『異国人の首』を土佐 の土産に持ち帰える、と興奮した様子で結んでいます(実際に戦争は起こりませんでしたが・・・)


近年龍馬は「黒船」を実際に見ていない、砲術の師匠・佐久間象山の記録を重ね合わせたものだという趣旨の文章が掲載されていました。山本詔一「龍馬があこがれた黒船」、別冊歴史読本坂本龍馬伝』(新人物往来社、2009年)



ペリー来航に関しても、武士たちは質屋へ武器を買いもとめ、上へ下への大騒ぎであったとか、いや庶民たちは弁当持参で、のんびり見物だったなど、いろいろな話が残されています。

はてさて実際は・・・!? 興味深いところです。

今日は意外と楽しむことが出来ました。