<龍馬を語ろう> 第1回



2010年の大河ドラマ坂本龍馬を主人公とした「龍馬伝」だそうです。歴史が好きだ、という方のなかには、三国志や戦国時代と並んで、龍馬たちが生きた幕末〜明治維新に関心を持っていらっしゃるという方も多いのではないでしょうか。

かくいう自分もその中のひとりです。

さて、坂本龍馬という名前は聞いたことがあるけれど何をしたのかよくわからないという方のために、おさらいも兼ねて龍馬の簡単なプロフィールを記しておきましょう。

坂本龍馬は、天保六(1835)年、十一月、土佐藩(現在の高知県)の商家「才谷屋」の次男に生まれました。幼いころは泣き虫でしたが、海外に対する憧れを強く持った少年だったようです。

一九歳の時、江戸に剣術修行に出て、ペリーの「黒船」を目撃します。(この出来事が「幕末」時代の幕開けとなります。)その後、地元土佐の「土佐勤王党」に参加しますが、肌にあわなかったためか土佐を「脱藩」(許可なく故郷を捨てること)し、江戸で勝海舟の弟子になり「海軍操練所」(海軍の学校のような場所)で航海術など、西洋の技術を学びます。

勝海舟が罷免され海軍操練所が閉鎖されてからは、西郷隆盛小松帯刀のいる薩摩藩(現在の鹿児島県)の世話になりながら「亀山社中」(会社のようなもの)を設立。(亀山社中は後に海援隊となります。)その一方で当時政治問題になっていた長州藩(現在の山口県 当時長州藩は日本国内と西洋の両方から攻め込まれそうになっていた)を救うため同志・中岡慎太郎とともに薩長盟約締結に尽力しました。そして国家の変革を夢見ていた龍馬は徳川から平和裏に政権移行をさせるため、「船中八策」を発表。そのアイディアを以って、慶応三(1867)年十月十五日「大政奉還」(徳川氏より朝廷への平和裏な政権返上)を実現させました。しかしこのような龍馬の活動を疎ましく思う者も多く、大政奉還から一ヵ月後の十一月十五日、京都の旅館・近江屋で中岡慎太郎と会談中のところを「見廻組」に襲われ死亡しました。中岡は龍馬が死んで後二日間生き延びましたが、十七日夕方絶命しました。龍馬三十三歳・中岡三十歳でした。

・・・といったところでしょうか。

龍馬が好きという方のなかにも、薩長盟約や大政奉還を彼の最大も業績として思い浮かべる方が多いのではないかと思います。

しかし今、この「龍馬像」が揺らぎ、「新しい龍馬像」が生まれつつあるのです。

このブログでは、「龍馬とは?」「龍馬が生きた幕末〜明治維新」とはどのような時代であったのかということをすこしずつ、本当にすこしずつですが書いてゆければよいなと思っております。

ゆっくりお付き合いいただければ幸いです。