JIN-仁-のいる風景

「JIN−仁−」 最終章 後編。例の「偏頭痛」に襲われ、またも倒れ込む仁。 

病魔は仁の身体を次第に蝕んでいきます。咲と野風は仁に残された「時間」を強く意識し、仁の身をひたすら案じるばかりでした。

恭太郎は勝海舟からフランス留学を進められますが、恭太郎自身は心ならずも龍馬を手にかけようとしたことに責任を感じ、戦に身を投じようと密かに決意を固めているようでした。慶応4(1868)年2月23日には前将軍・徳川慶喜の蟄居に不満を持った徳川家臣の一部と有志(本多 敏三郎や天野八郎ら)が(離合集散を繰り返しながらも)「彰義隊」を結成します。2月26日に彰義隊は江戸の「市中警備」を開始。その任務を続けながら、彰義隊はその組織を拡大していきます。彰義隊の最大時の人数は3000人にも及んだといいます。 

彰義隊は新政府軍との衝突を幾度か繰り返していたため、新政府にとって江戸に屯している彰義隊は不安要素の一つでした。そのような状況の中、慶応4年5月1日、新政府の大村益次郎が江戸に入り、彰義隊は市中警備の任を解かれます。不穏な情勢下のある日、仁は松本良順に呼び出され自分が不在の時に事が起こった際には医学所への「指図」をするように依頼を受けます

(松本良順はこの後、会津に向かい、同地で起こった会津戦争では野戦病院を設け負傷兵の治療に当たったため新政府から朝敵とみなされ横浜で捕縛。明治3(1870)年罪を赦され、山県有朋の招聘により、政府に出仕し陸軍医として活躍。明治40(1907)年に死去、享年75でした)。 

仁が松本良順に「私そういう時一番間違っちゃいそうな気がするんですけど」と伝えると、良順はまた「ではその間違った道をお指図ください」と信頼に溢れた眼差しで仁をみつめるのでした。
新門辰五郎に良順との話を戸惑いながらすると、辰五郎は「先生はしがらみが少くねえからな。松本先生も俺も、しがらみだらけだ。何か事を決めるときはまず考えちまう。これは徳川様にとって どうかってよ。けど、でっけえ目で見りゃそれが正しいかどうか分んねえわな」としみじみと答えるのでした。

新門辰五郎上野戦争では寛永寺の防火と慶喜の護衛につとめ、徳川の静岡居住に付き従い、遠江国磐田郡での製塩事業にも尽力。のちには清水の次郎長とも兄弟分の杯をかわしたといいます。明治8<1875>年に没、享年75)  
仁と辰五郎が街中を歩いていると、彰義隊士が新政府軍の「錦切れ(新政府軍の目印として肩につけている錦の切れ端)」を奪い取っている姿を眼にします。この光景を眼にした仁は「江戸」が終わりゆくことを肌で感じます。そして自分に許された「時間」が残り少ないことも・・・。

仁の病状は悪化の一途を辿りとうとう咲の姿が野風にみえるといった「幻覚」症状まで現れるようになってしまいます。この状況を重くみた咲は「先生のお指図の元、皆で手術はできぬのではございますか?」と仁に問いただしますが、仁は「私の癌を摘出するためには、バイポーラーっていう道具がどうしても必要で。これはねえ、どうにも」笑ってごまかしますが、咲に「こんなときに 無理にお笑いにならないでくださいませ!」と窘められてしまいます。

そんな咲に対し「あ・・・でも、江戸の人たちって、笑うの、上手じゃないですか。私も見習いたいなあって思ってるんですけど。上手くいってないってことですね」と寂しそうに笑う仁。
「・・・もとの世に、お戻りになられる方法はないのでございますか?」と再び問う咲に、
「・・・まあその・・・行ったり来たり自分でできるんだったら、もうやってるっていうか。でのもそれって、すごく便利ですよね。パパっと戻って治してもらって、ここにない薬、取って戻ってきたりしてね」と仁は咲に再び笑いかけます。

そんな仁の様子をみて「先生は、助かりたくはないのでございますか!?」と憤る咲。

咲の言葉を受けて仁は「・・・そりゃ、助かりたいですよ。でも、出来ないことを考えて嘆いているより、出来ることやって、笑っていたいっていうか」 「そんな顔してたって、何もよくならないですよ。咲さん!」と答えるのでした。仁もまた悲壮な決意を心に秘めて・・・。翌日、仁は仁友堂の仲間を呼び集め「自分の死後、遺体を腑分け(解剖)」するよう提案します。仁はこれが自分が江戸でなすべき最後のことだと判断したのです。

一方、恭太郎は(龍馬を殺害しようとした)仲間に「彰義隊」に参加するよう強く勧められます。(慶応4年5月14日、新政府は彰義隊に宣戦布告。翌15日の上野の総攻撃を決定しました これにより彰義隊からは1000人ほどが脱走)。5月14日、恭太郎は上野の山に向かうものの「具足を取りに」といい、一旦自宅に戻ります。橘家での最後の夜を過ごすために―。慶応4年5月15日、「上野戦争」が勃発。恭太郎は母・栄に遺書を残し上野の山へ旅立っていきました。恭太郎の遺書を読んだ咲と佐分利祐輔は恭太郎を連れ戻すために上野の山に向かいます。仁は山田純庵と福田玄孝に命じ医学所と共同して野戦治療所を設置させました。咲と佐分利祐輔は銃弾が飛び交う中、恭太郎を探し出しますが、咲の腕に新政府軍兵士の流れ弾があたり、咲は負傷します。一方仁のいる野戦治療所には続々と負傷兵が運ばれてきます。多紀 元琰らの協力を得ながら、必死に負傷兵の治療にあたる仁。咲が負傷していることに驚き治療を施そうとしますが脳の腫瘍の影響で手の震えが止まりません。あの「偏頭痛」とともに龍馬の「口八丁、手八丁ぜよ。手が動かんかったら、口を動かせばいい」という声が仁に響き、仁は力を取り戻します。恭太郎は咲の健気な姿や仁が必死に負傷者を治療する姿をみて(水を汲みながら)生きる道を選んでいました。

結局、「上野戦争」は、慶応4年5月15日 午後5時頃―大村益次郎佐賀藩にアームストロング砲で黒門付近を砲撃させたことによりたった1日で終結しました。

上野戦争終結後、野戦治療所は落ち着きを取り戻していましたが仁の病状は悪化。さらに咲は「緑膿菌」に感染し倒れてしまいます。仁の必死の看病も効き目がなく、咲の病状も予断を許さないものになっていました。咲が倒れてから数日後の慶応4年5月20日
眼を覚ました咲を愛しそうに仁が抱きしめると仁の脳裏にある光景が蘇ってきました。

仁が未来から江戸へ持ってきたと思われる「ホスミシン」。これがあれば咲は直るかもしれない!仁は咲に「じゃあ行ってきますね」と語りかけホスミシンを探しに出かけました。仁・橘家・仁友堂挙げてのホスミシン大捜索!やがて仁と恭太郎は、ホスミシンを捜し歩いて6年前の文久2年、初めて2人が出会った本郷台地の訪れ草むらにたどり着きました。その時、龍馬の声が仁の脳に響きました―「戻るぜよ、先生!咲さんを助けたくば戻れち、先生の頭の中におるやつが言うとるがじゃ。先生はどこから来たがじゃ」

これで仁は自分がやってきた入り口(錦糸町)を思い出し突き進みます。新政府の兵士に額を割られながらなおも進む仁。龍馬の「戻るぜよ、先生、あん世界に」という言葉に背中を押されるように仁は崖に飛び込んだのでした。

そして現在―。重傷を負った仁はもう1人の「仁」に手術されます。胎児型腫瘍も取り除かれ龍馬とも別れの時が―。

「先生はいつかわしらのことを忘れるぜよ。けんど悲しまんでええ。わしらはずっと先生と一緒におるぜよ。見えんでも、聞こえんでも、おるぜよ。いつの日も先生とともに」
の言葉を残し・・・。龍馬は消えてゆきました。

眼を覚ました仁にはまだ仕事が残されていました。それは再び慶応4年5月20日に戻ること。仁は「あの時」と同じように救急用パッキン・胎児型腫瘍といくつかの医療道具を持ち出し、もうひとりの自分と非常階段で揉みあった所で「現在の仁」は時空の階段を踏み外しタイムスリップ! ただしホスミシンは包帯姿の仁の手に握られたまま・・・

仁は再び眼を閉じるのでした・・・。

数時間後、仁が眼を覚ますと現在の仁が江戸からやってきた仁を手術したという事実も仁が脳内に胎児型腫瘍を抱えているという事実も消えていました。
仁は幻影でもみていたのでしょうか? 「自分がもともといた世界」とは何かが違うと違和感を覚えた仁は研修医の野口に小説の題材にしたいと偽って「自分の体験」を話し「自分が幕末にタイムスリップ」した事実を分析させました。

野口の分析によると
・複数の世界が存在するパラレルワールド 複数の幕末 複数の仁も存在する(別世界の仁が仁を手術する)それが永遠にループする。(ただし現代―2009年10月11日 幕末―慶応4年5月20日)のラインは決まっている。

・ 胎児型腫瘍―バニシングツイン(双子の1つが胎内でもう一つの胎児に吸収される現象)がガン化し、さらにそれが龍馬の血液を浴び人格化した
という見解だそうです。

仁は野口の話にうなずく中で「俺は歴史を変えたのか?何もしていないんじゃないか」という疑問にとらわれます。いてもたってもいられなくなった仁は自分が生きた軌跡を追い始めます。仁が医学史の文献を紐解くとペニシリンの項にフレミングとともに「仁友堂」の名前がしっかりと刻まれていたことに感動! しかしそこに「南方仁」と「橘咲」の名前はありませんでした・・・。

仁は咲の「その後」の人生を知ろうと橘家の跡地に向かいます。橘家の跡地は「橘医院」となっており仁は感動を覚えます。

とそこから1人の女性が。勇気を振り絞り咲のことをたずねると、その女性は咲のその後を写真(仁の写真はありませんでしたが)を交えながら教えてくれました。

咲のもとに無事ホスミシンが届いたこと、
維新後、咲は仁友堂と面々と交流を持ちつつ実家に橘医院を開いたこと。野風の娘安寿(お初に似ている)を養女にしたこと。独身で長生きしたことなどなど、仁はそれらの
事実を懐かしく、眼を潤ませながら聞いていました

帰り際、仁は女性から「揚げ出し豆腐はお好きですか?」と聞かれ、「ずっとあなたを待っていた気がします」と1通の手紙を渡されます。仁は女性に名前を問うと女性は「橘 未来」と名乗りました(未来の生まれ変わり)。

未来の渡した手紙は咲から仁に宛てたものでした。
○○先生へ

先生、お元気でいらっしゃいますでしょうか
おかしな書き出しでございます事を、深くお詫び申し上げます。
実は、感染症から一命を取り留めた後
どうしても先生の名が思い出せず、先生方に確かめたところ
仁友堂にはそのような先生など、おいでにならず
ここはわたくしたちが起こした治療所だと言われました
何かがおかしい、そう思いながらも
私もまた次第にそのように思うようになりました
夢でも見ていたのであろうと
なれど、ある日の事
見たこともない、奇妙な銅の丸い板を見つけたのでございます
その板を見ているうちに、わたくしは朧げに思い出しました
ここには、先生と呼ばれたお方がいたことを
その御方は、揚げ出し豆腐がお好きであったことを
涙もろいお方であった事を
神の如き手を持ち、なれど決して神などではなく
迷い傷つき、お心を砕かれ、ひたすら懸命に治療に当たられる
仁をお持ちの人であったことを
私は、その御方に、この世で一番美しい夕日をいただきました事を
思い出しました。
もう、名も、お顔も、思い出せぬその御方に、恋をしておりましたことを
なれど、きっとこのままでは、わたくしはいつかすべてを忘れてしまう
この涙の訳までも失ってしまう
何故か耳に残っている修正力という言葉
私はこの思い出を、無きものとされてしまう
気がいたしました
ならば、と筆を取った次第にございます
私がこの出来事に抗う術は一つ
この想いを記すことでございます
○○先生、あらためてここに書き留めさせていただきます
橘咲は、先生をお慕い申しておりました
                         橘 咲


咲の手紙に仁は「私もお慕い申しておりました」と答え、溢れ出す涙を止めることが出来ませんでした。(思えばこの物語は咲の健気さが光っていたと思います)

数日後、未来が仁の勤める病院に緊急搬送され仁が執刀することになります。

これからも仁は多くの患者を救い、仁のいる風景は続いていくのでしょう。