JIN-仁-のいる風景

慶応元(1865)年、神戸海軍操練所閉鎖後、龍馬は薩摩へ向かい西郷 吉之助・小松帯刀らの家に世話になっていたようです。また、龍馬は小松の尽力により長崎の亀山に「社中」を設立しています。

 この間、龍馬は長州にも出入りし、薩長の「和解」を画策。明けて慶応2年(1866)1月20日頃には龍馬は京都薩摩屋敷に滞在し、22日頃に は通称「お花畑」と呼ばれた小松帯刀屋敷で、来るべき長州戦争に向けて「 薩長盟約」が締結されました。
  
 一方仁は、多紀 元琰より川越松平家の恵姫の治療依頼を受けます。
 
川越松平家は由緒正しい譜代の家柄。慶応2年当時、川越当主松平直克 (まつだいらなおかつ)は一揆 の頻発に苦労していました。

 恵姫の頬に腫瘍があったというのはどうやらフィクションのようです。
 
 恵姫の腫瘍を摘出した仁ですが、今度はお初ちゃんが大怪我! 
 懸命にお初ちゃんに治療を施す仁。突如消えゆく仁の身体・・・ 。盟約締結を見届けた後公儀役人に襲撃を受ける龍馬!<慶応2(1866)年1月23日夜半(24日未明)「寺田屋事件」> 
 
仁はいったいどこへ・・・? そして龍馬の運命は・・・?