JIN-仁-のいる風景

現代の脳外科医が幕末にタイムスリップしてしまったら―そのようなIFの世界を描いた作品が「JIN-仁-」です。前作では思いもかけず「江戸」へやってきてしまった南方 仁の葛藤、橘家との暖かい交流・坂本龍馬勝海舟新門辰五郎緒方洪庵らとの時を越えた出会い・野風や喜市との温もりある交わり・江戸で猛威を振るった「コロリ」との戦いが描かれました。
 
 仁が江戸へやってきてから2年。京都で事件が起こります。元治元(1864)年7月11日佐久間象山(さくましょうざん)が暗殺されたのです。象山は信州松代の兵学者で西洋技術の重要性を説き、弟子である吉田松陰勝海舟坂本龍馬らに多大な影響を与えましたがその先進的発想のため、肥後の河上彦斎(かわかみ げんさい)に殺害されました。享年54。(「地震予知機」を開発した象山のこと、タイムスリップしたことがあるという設定は面白いですね。)
 
 象山暗殺後の元治元年7月19日、京都御所周辺で長州勢vs諸家の「戦争」である「禁門の変」が起こりました。この「禁門の変」は前年の8月18日のクーデター ―文久政変で京都の中央政局を追われた長州藩が自分たちが「攘夷」を行なったことへの「弁明」<孝明天皇を含めた朝廷がだした「攘夷決行」の命に従って長州が「攘夷」を行なったという主張>および「朝議での(公家を通した)発言権の「回復」をするために行なった「率兵上京」に端を発した「戦争」でした。
 
 この「禁門の変」でまた久坂玄瑞薩摩藩兵(この時薩摩兵を指揮していたのは西郷吉之助=当時大島吉之助)と奮闘し、命からがら御所へ突入し、前関白の鷹司政通(たかつかさ まさみち)邸で同志の寺島忠三郎とともに自刃しました。
 享年25歳。久坂は龍馬とも親交があり龍馬に「国抜け=脱藩」を決意させたのも久坂だといわれています。
 
この「禁門の変」により御所周辺の中立売御門付近から火の手が上がり多く
 の人々が焼け出されたようです。この「禁門の変」による大火は「どんどん焼け」と呼ばれ京都の町は3日3晩燃え続けたそうです。

 仁はこれからどのように時代と切り結ぶのでしょうか。