<龍馬を語ろう> 第54回 つれづれなるままに〜 龍馬伝第33話・感想

龍馬伝」第33話。「亀山社中の大仕事」。お話の時期は慶応元(1865)年7月頃〜8月頃でしょうか。龍馬31歳。

薩摩と長州の和解・提携のために、「薩摩藩名義で」長州藩に小銃および軍艦を購入することになった龍馬たち「亀山社中」の面々。慶応元年7月21日には、長州の武器購入の担当者として長州毛利家家臣の伊藤俊輔(のちの博文)と井上聞多(のちの馨)が長崎へやって来ました。

(劇中のグラヴァーとの会話でも触れられていましたが、伊藤と井上は他の毛利家家臣3名とともにイギリス・ロンドンに留学した経験を持っています。<1863年5月〜1864年6月>)留学という経験を持つ伊藤と井上にとって長崎での小銃購入はまさにうってつけの役割だといえるでしょう。

長崎へ入った伊藤と井上は亀山社中近藤長次郎や薩摩の家老・小松帯刀の配慮で長崎の薩摩屋敷に匿われたといいます。薩摩屋敷に匿われてすぐ伊藤・井上と小松との間で会談が持たれ、小銃購入の件が話しあわれました。また伊藤は亀山社中のメンバーで龍馬の甥・高松太郎に誘(いざな)われグラヴァー邸を訪れ、グラヴァーに長州の小銃購入の話を持ちかけます。グラヴァーはこれを快諾します。

龍馬伝」ではグラヴァーが亀山社中に協力的ではないかのような描き方をしていますが事実と異なります。グラヴァーが薩摩・亀山社中に好意的であったことは描くべきでしょう。

8月27日グラヴァーや亀山社中の尽力により長州はミニエー銃4000挺・ゲペール銃3000挺が長州へ送られました。

また近藤長次郎の提案で井上が小松帯刀とともに薩摩へ下ることになりました。井上は薩摩で大久保一蔵(利通)らと交流を持ったそうです。

軍艦・ユニオン号の購入に関しては亀山社中と長州海軍局との間で「使用権」をめぐり問題が起きましたが、長州海軍局の審査を受けるという「妥協」をし(とりあえず)8月ユニオン号は長州へ引き渡されました。

小銃・ユニオン号の購入に関する近藤長次郎の働きは絶大なものでした。

はて? 今回の感想に龍馬が出てきません・・・。 実はこの時期、龍馬は京・大坂にいたようです。(したがって今回龍馬が出てくるシーンはほとんどフィクションではないでしょうか?)

龍馬小銃購入・ユニオン号購入といった「物質的」薩長提携を全て「腹心」である近藤長次郎に任せたのでしょう。

この「仕事」の成功は長次郎にとって「大きな自信」となったのではないでしょうか。

また伊藤・井上・グラヴァーとの関わることによって、長次郎は長年の夢であった「海外留学」への希望を強くしたに違いありません。

ユニオン号はまさに長次郎の「栄誉」と「夢」の象徴だったのかもしれません・・・。