<龍馬を語ろう> 第43回 つれづれなるままに〜 龍馬伝第24話・感想

龍馬伝」第24話。「愛の蛍」。お話の進行時期は元治元(1864)年6月頃 池田屋事件(元治元年6月5日)前後でしょうか。龍馬30歳。今回は池田屋の戦闘シーンが描かれていました。前回も少し書きましたが、この「池田屋事件」は全体的に謎に包まれていて多くの風聞やフィクションで成り立っている「事件」であるようです。そもそも6月5日のこの会合は何のために開かれたのでしょうか?

京都御所に火を放ち帝を長州へ連れ去る」・「京都守護職松平容保を暗殺する」などと物騒なことが本当に計画されたのでしょうか? 1つには新撰組に捕縛された同志・古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)の救出計画を目的に掲げていたのではいたのではないかと思われます。

古高は当時、枡屋喜右衛門(ますや きえもん)を名乗り、尊攘系浪士に武器の供給などをし、その家系は山科毘沙門堂門跡・慈性法親王の家来であったことから長州と有栖川宮家のパイプ役として期待されていました。

ところが元治元年6月5日―古高は新撰組に急襲されます。宮部鼎蔵は古高邸に寓居していましたが新撰組急襲時は外出しており難を逃れたそうです。

(ちなみに、古高は池田屋事件の後、六角獄舎に収容されますが、翌年に起きた「禁門の変」で発生した大火災の混乱のなかで斬首されました。享年36)

その当時、宮部鼎蔵らは何を考えて行動していたのでしょうか? 望月 亀弥太の最期は・・・? 一説には新撰組の「勇み足」ではないかとも噂されるほど、本当に多くの「謎」が残された「池田屋事件」。

歴史地理学者の中村 武生先生は池田屋事件をご熱心に研究されていて、その研究を近々出版されるそうです。個人的にとても楽しみです。

池田屋事件の全貌を明らかにすることは新撰組の動向だけではなく、宮部鼎蔵吉田稔麿ら一部有力浪士の動向も知ることにつながり、ひいては幕末史研究を深化させることにつながると思うからです。

どんな形にせよ、この「池田屋事件」が翌年の長州出兵、そして「禁門の変」の引き金となったということは間違いないでしょう。
池田屋事件に前後して、岡田以蔵が京都から土佐へ護送され入牢(6月14日)。

劇中、以蔵への「拷問」のシーンがありましたが老公・山内容堂後藤象二郎など「対勤王党」の体制を整えるのが元治元年の7月ですから以蔵への「拷問」は少しはやいですね。

劇中と異なり、以蔵は土佐へと護送されてくる最中「天誅組の吉村虎太郎」がどうの、自分の「京都での活動」がどうのと役人にあれやこれやとしゃべりたてていたようです。

このことは獄中の半平太を不安な想いにさせたようです。

坂本家で乙女が語った半平太・富夫妻のエピソードに出てくる「友人」とは吉村虎太郎です。

(ちなみに坂本家のシーンで高松家に嫁いでいた姉「千鶴」<高松太郎の母>が登場しますが千鶴は遡ること3年の文久元(1861)年に45歳で亡くなっています  また、兄・権平の妻 千野<ちや 春猪の母 勤王党同志である川原塚茂太郎の姉>は安政5<1858>年 38歳で亡くなっています)

龍馬は池田屋事件の後、6月17日 下田にいる勝海舟を訪ね、「蝦夷地開拓計画」を打ち明けますが、北海道探索を任せていた望月が池田屋で死亡したことにより、龍馬たちの「蝦夷地開拓計画」は敢え無く挫折したのでした・・・。