<龍馬を語ろう> 第22回 つれづれなるままに〜 龍馬伝第11話・感想

 「龍馬伝」第11話。万延元(1860)年、龍馬26歳。加尾と別れさせられて傷心の龍馬。
 全体を通して冷静、というかどこか(武市をも突き放した)キャラクターになっている気がしました。

「国抜け」=「脱藩」への複線でしょうか。

今回のお話は桜田門外の変岩崎弥太郎が藩の金を使い込み長崎から土佐へ戻ってくる、というところから始まりました。弥太郎が藩の公金に手を出してしまったのは本当のことらしい。この時弥太郎27歳。

さて、今回の大きなテーマは「井口事件」(永福寺門前事件)です。

事件が起きたのは桜田門外の変から、1年後の事件は文久元年(1861)3月4日。
永福寺門前で中平忠次郎が上士山田広衛に殺害され、その兄・池田寅之進が報復として山田広衛と益永繁斎を切り殺した。この事件の知らせを受け上士は山田家、下士は池田家へ集まり、一触触発となるが、池田と事件を知らせた宇賀喜久馬の切腹を以て事件を解決させたというものです。
「井口事件」に関しては確実な史料がありません。
日本初の龍馬小説、坂崎紫瀾(第1話の冒頭で登場)の『汗血千里駒』で、亡くなった池田から流れた血を、龍馬が刀の白下緒をひたし赤く染めるというエピソードで、龍馬に華を持たせていますがフィクションです。
同じく坂崎の手になる『維新土佐勤王史』も同じようなものです。

この事件についても「おーい竜馬」の影響が強くみられるようです。

龍馬が吉田東洋に「上士にとりたててやる」といわれていましたがこれもやっぱりフィクション。龍馬と東洋は面識もないでしょう。

身分制度はきちんと描いたほうがいいと思います。第1話の井上某の殺害事件もフィクションでしたが、フィクションの事件をつみ重ねて龍馬が動き出す動機を描いても「?」です。
もちろん土佐には他藩よりも厳然とした身分制度があったことは確かですが。

とにもかくにも、情勢の変化により土佐は「沸騰」し、文久元(1861)年8月「土佐勤王党」が結成されました。間崎滄浪出てくれないかなあ。中岡慎太郎の初登場も気になるところです。

次回は吉田東洋暗殺に向けての、龍馬・半平太らの心理が描かれるのでしょうか。